突然ですが皆さん、留置所に入ったことはありますか?
僕はつい最近経験させてもらいました!
正直言って、とんでもない場所です。
僕の入った時は幸にして罪を犯していない人も沢山いたので、善良な人や子どもも数人いました。治安は良い方だったのだと思います。
当記事の続きになります。
妻目線では、
2020年3月15日(我々の結婚記念日)。
マレーシア外国人封鎖が決まる1日前、施行される二日前(3月16日22時に封鎖発表、17日に施行)
観光ビザの1度目の切り替え(ピザラン1回目)を行う予定でした。
シンガポールに三日滞在し、再度入国をする至って普通の観光ルートでした。
マレーシア航空のエコノミークラスを使用。
17時頃クアラルンプール空港に着き、イミグレーション(入国管理局)を通過しようとしました。
管理官は怠そうにしてる中年男性でした。
まずパスポートを渡して一言目に、
「HOKKAIDO、HOKKAIDO」
と言われ、応援を呼ばれました。
すぐさま、北海道に居たのは12月が最後でそれ以降はマレーシアから出ていない事を告げましたが、
「観光目的で既に三ヶ月いたな。何かしているだろう。次の三ヶ月いるなら何処からかのレターを出せ」とか言われました。
渋々ijnからのレターを出すと、、、
「病院見学は観光ビザで出来ないだろう?(lookingすらダメとか謎) 入国管理室の方へ迎え」
とか言われたんですけど、病院見学(visit)は間違いなく観光ビザで出来ます。
入国管理室はイミグレーションカウンターの右手のほうにかなり進んだ奥になります。
部屋に入ると、30人程入国拒否された人がいた様でした。
ある人は、
北海道を経由してマレーシアに入国したアジア系の夫婦と中東系の家族は即別室に連れて行かれていました。恐らく個室の留置所に入れられたでしょう。
(これは北海道からの渡航を禁止していますので当たり前)
自分の番になって、デスクへ向かうと、、、
怠そうな中年女性管理官が、
「reject(入国拒否)だから。書類にサインして」
いやいや、もう決まってるのかよ。
僕「もう家とか有るんですけど」
管理官「関係ない」
僕「子供の学校有るんですけど」
管理官「関係ない」
僕「ちょっとボスに電話させてください。」
僕「ダトー、助けてください。入国管理局に捕まりました。」
ダトー「ちょっと管理官に変わってくれ」
僕「僕のボスと電話代わってくれませんか?」
管理官「無理。」
僕「ダトー、無理って言ってます」
ダトー「はぁ?そいつの名前はなんて言うんだ?」
僕「ダトーが名前知りたいって言っています」
管理官「はぁ?教えられるわけないでしょ。私はただのイミグレーションオフィサーです」
僕「ダトー、無理って言ってます」
ダトー「そこの電話番号を渡す様に言え!我々のCEO(DATO seri)が電話するけど良いんだな?って言え!」
流石にこのやり取りを見ていたイミグレーションのボスが電話番号を書いた紙を渡してきました。
さてカンカンに怒ったダトーとイミグレーションのボスの電話第一ラウンドです。
30分近く闘ってくれました。
ダトーから連絡が、
ダトー「事務方からも電話をするからな」
心強いです。
まさかのダブル電話攻撃が始まりました。
ダトーVSイミグレーションボス、ijn事務ボスVS上級イミグレーションオフィサー(中から出てきた高年男性)
1時間ほどして、電話が置かれました。
イミグレボス「DR、申し訳ないがリジェクトです。またエンプロイメントパスを再申請してから再入国してください」
最悪でした。
こんな事になると思わず、
家も冷蔵庫はそのままですし
またアリが出てきたからアリメツ使用中ですし
学校とか習い事の連絡
家賃、ライフラインの支払い
突然何も出来なくなりました。
ショックでした。
しかし、彼らから申し訳ないと言う言葉が出た以上本当に無理で有ると理解しました。
僕「これから何をすれば良いのですか?」
イミグレボス「holding loungeに行ってもらいます」
holding loungeとは何か。
留置所です。僕もこの時点で知りませんでした。
クレジットカード付帯のラウンジやステータス会員専用のラウンジを使ったことがある人は沢山いると思います。
シンガポールなどのハブ空港(乗り継ぎ便が多い空港)は沢山のラウンジがあって、飛行機の待ち時間を快適に過ごすことができます。
しかしラウンジはラウンジでも、なかなかホールディングラウンジ、つまり留置所に入った事が有る人はなかなかいないでしょうね。
犯罪者の溜まり場的なイメージがあるでしょう。
その通りです。扱いもまるで刑務所です。
留置所に入るとまずは帰りの航空券を買わなければなりません。
空港にはWIFIがありますので、接続して予約します。
注意して欲しいのは、空港に来た航空会社と同じでないと預けた荷物を失います。
つまり、我が家の場合シンガポールからマレーシアにマレーシア航空できましたので、マレーシア航空で日本に帰らなければならないわけです。
幸運にも23時45分の日本行きの便がありました。
これは本当に幸運な事です。
何故かって?
留置所には個室と体育館の2パターンあるからです。
体育館に入ると男性と女性で分けられます。
帰りの航空券が次の日以降である場合、体育館にぶちこまれます。
体育館はそれはそれは劣悪ですよ。
扉なしでトイレと直通
男性用は幼稚園の体育館くらいありますけど、女性用はただの通路です。
携帯電話、ゲーム機、靴を没収され、時計もない空間で飛行機を待ちます。
トイレは石鹸もないし、ただの壁に小便をし、壁から出てるホースで手を洗います。
トイレに行こうとすると舌打ちをされて(子供ですら)、警備員に連れられてトイレに行きます。
警備員がいないときに、ヨーロッパ人から話しかけられました。
「俺はマレーシアに住んでいて家もあるんだ。ヨーロッパのパスポートってだけで留置所に入れられた。こここそコービット(コロナ)が蔓延してるよ。帰ったら訴えてやる。一生マレーシアに来ない。」
僕と同じです。それを伝えると、
「君は子供を連れているね、すぐにこの体育館から出た方がいい。日本に帰って元気でやるんだよ」
こんな人もいれば、明らかに犯罪者の匂いがする集団もいました。
この世の地獄です。
我々は当日に日本に帰る飛行機を取れたため、個室に通されました。
個室といっても監視カメラで見張られ、オフィサーの目の届く3畳ほどのスペースです。トイレはありませんので、トイレに行くには体育館を通らなければなりません。
朽ちたソファーと椅子が何個かある場所です。
四方の壁と床は真緑に塗られたコンクリートの部屋です。
娘はここでストレスの為吐きました。
すごい嫌な顔をされてティッシュと袋を渡されて処理しました。
服もなく、妻の上着をお菓子の袋止めで挟んでピンがわりにして寒さを凌ぎました。
替えの服やブランケットは勿論用意してくれませんし、預けたバッグの中身を開けて服を取ることも出来ませんでした。
留置所にきたマレーシア航空の職員もゴミを見る目で見てきます。ステータス会員であっても変わりません。(帰りの成田でJALの職員に教えてもらったのですが、ステータス会員がこの様な仕打ちを喰らうことはあり得ない事だそうです)
ご飯もありません。誰も食べたくも無かったんですけど。
冷えてない自動販売機でジュースとビスケットなどは、買えます。
コーラが5RM(130円)くらいするので、現地物価としてはかなり高いです。
ご飯を無断で持ち込んだ中国人は怒鳴られてケンカしてました。
もう我慢の限界だと言うところで、出発一時間前となり優しいオフィサーが連れ出してくれました。
トイレも我慢していたので、トイレに行きたいと言うと子供達のリュックも持っててゆっくり行ってきてと言ってくれる優しい人でした。
そのオフィサーは事情を知っていた様です。
ijnのドクターなんでしょう?また帰ってきてマレーシアの為に働いてください。と言ってくれました。
荷物検査の場所でも、ijnのドクターですよね。どうぞ。と言ってくれました。
飛行機のマレーシア航空のキャビンアテンダントの方もとても優しく安心してしまい、爆睡して日本へ到着しました。
イミグレーションオフィサーには二種類ある様です。
①留置所の入り口にいる、陽気な優しい人達。
②体育館の近くにいる、対応の悪いクズ達。
仕事内容が違って、管轄が違うのだと思われます。①と②の人達は仲が悪い様でした。
②の人達には何を言っても無視されます。
ゴミの様に扱われます。ゴミにゴミの様に扱われるわけです。
①の人達は文化的で英語もよく通じますし、人間的にも問題ない人達です。
これが留置所の袋です!!
これはレアでしょう!
携帯電話やゲーム機はこの袋に入れて保管してもらうんですね!
記念にもらえますからね!
貴重なコレクションです!!
日本に帰ってきても14日間の就労を禁じられました。バイトしてお金稼ぎたいんですけどね。
突然旅費で30万円失ったので。
また長い休みです。
自分の研究や論文作成に時間を当てようと思います。
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